もう一歩

夏の初めだったか、梅雨の途中だったか、苗の水やりをしていて「エッ!?」と驚いた。

ローズマリーの苗のラベルがない!

すぐに近くや棚の下を探してもラベルは見つからなかった。

ローズマリーは、ラベルがなくなっても特徴があって種類がすぐわかるものもあれば、なかにはラベルがなくなると全くお手上げというものもある。まあ、そういう種類はごく限られているので、念のためにラベルを複数つけたりして気をつけているのだが。

今回問題となったローズマリーは、「だいたいわかるけれど絶対の自信が持てない」という種類。

葉の形やつや、枝の伸びかた、置いてある場所とか、たぶんこの頃に挿し木したものだとか、この種類は今年まだ増やせていないとか、消去法で確定していくと、ほぼ「あれだよね」というのがわかっているのだが、最後のもしかして・・・というところが花が咲くまでわからないというタイプだ。

おかげで、せっかくいい感じで育っていたのに、発売のタイミングを逸してしまった。

決め手となる花を待って数ヶ月。ようやく花芽が見え始めてきた。ラベルさえあったら、夏か秋には発売できただろうに・・・。古い葉はそろそろ更新を前に黄色くなり始めてしまった。

毎日のように気になって開花を待っているが、気温が下がりつつあるこの時期、蕾までできてもその先が遅々としてすすまない。もう一歩なのだが。

さて、今年中に花を拝むことができるのだろうか。

作業小屋掃除を行う

昨日は、冬前恒例の作業小屋掃除を行なった。

ちょうどこの掃除を行う頃は天気が不安定で、毎年なかなかちょうど良い日に作業ができないのだが、今年はまずまずいいタイミングで行うことができた。

作業小屋の中のものを全て外に出して掃除、また元に戻すだけという作業だが、普段土を混ぜたりすることが多いのでどうしても土埃がところどころに溜まりやすい。

なので年に2回の掃除は欠かせない(もう一回は夏前だ)。半年に一回でも案外ゴミも溜まるし、特にビニールの袋が劣化して破れていたりするのでその入れ替えなども必要だ。

今回はいままでになかったことも発生した。

作業を始める時、スタッフが「上の方にアシナガバチがいるかもしれません」という。先日作業をしていた時、飛び回っていたようだ。

今までこの小屋では巣を作ったのはなかったのでいままであまり気にしていなかったが、もしかしたら巣があるかも・・・と、恐る恐る探していたら、紙の袋の隙間に数十匹が塊になって溜まっていた。時々見かける形態で、巣が作れず(壊された?)冬を迎えるときにこうして過ごしているのを時々見かける。

ただ、この場所は特に冬に我々が使うので、不意に手でも突っ込んだら大変なことになる。実際今回も言われなかったら何の気なしに掴んでいたかもしれない。

幸い、気温が低いので、動いてはいるものの、飛んだりはしないので、そっと紙袋ごと持ち上げて外へ移動した。

安全が確認されてから作業開始。小一時間ほどで、荷物はほぼ外に。中を掃除して、少し休憩を入れ、また荷物を元の位置に戻す。

荷物を出すと案外広いものだ

昼前には作業も完了。これでまた一つ冬への準備が完了した。

作業が終わる頃、気温も高くなって蜂が飛び始めていた。さて、彼らはどこに行くのだろう。

冬に活躍するPDA

何十年も時計をつけない生活を送っていたが、昨年Applewatchデビューを果たした。

ま、使い勝手が悪かったら家族に使って貰えばいいか・・・という感じで一番安いものを購入したが、むしろ手放せなくなった。

ほとんどがメールとかの通知と物忘れ防止の為に活用している。

カバーをしているがもう傷だらけ。この冬カバーだけでも交換したいが。

後者は特に冬場に役に立つ。冬は着ぶくれもしているし、手袋もしていたりしているのでスマホを取り出してメモをするのもつい億劫になる。作業中で手袋も汚れていると尚更だ。紙のメモでもあまり変わらないだろう。そんなとき、「ヘイ、Siri、覚えておいて」で、記録するようにすると非常にストレスフリーだ。

水やりをしていても、何か運んでいても記録できるというのはありがたい。そしてそういう時にかぎって何か思いつくものだ。

たまに言葉を取り違えて間抜けなメモが残ったりするのだが、自分の話し方が悪いのだろうと諦めている。ありがたいのが、袖の中で隠れていても問題なく反応して対応してくれることだ。

かつて、「PDA」と呼ばれる端末があった。「Personal Digital Assistant」の略だが、これこそがPDAと呼ぶにふさわしいように思う。

AIにはあまり関心はないが、こういう分野が進歩するのは正直助かる。

この冬も強力なアシスタントとして支えてくれることだろう。

落葉しないので

圃場の入り口には、ヘイゼルナッツの樹がある。ずいぶん昔、種子を手に入れて蒔いたものだ。花は咲くが、結実までもう一歩というところでいまだ実がならない。

もともと、果実を食べようと思って植えたわけではないので、それは構わない。今年はイマイチだが、黄葉がわりと雰囲気がいいし、樹形も気に入っている。管理もそれほど手間が少ない。ちょうどいい目隠しにも役立っている。

ただ、今年は未だに葉が残っている。枝がだいぶ多くなって株張りも大きくなってきたので枝を減らして剪定したいのだが、葉が落ちてからのほうがなにかと都合が良い。

葉が残ったまま枝を剪定しても、いつまでも葉がそのままで、片付けるにも面倒だ。葉のついている細かい枝も、葉がなければ集めやすいし、薪ストーブの焚き付けにも使いやすい。

先日からずいぶん気温も下がったので、そろそろかなと思いつつ、毎日この木を眺めては、葉が落ちる日を待っている。

減らない寂しさ

休憩所に薪ストーブを設置したのは今月初めだが、まだほとんど使っていない。

お湯を沸かすこともなければ、寒くて休憩時間に暖を取るほどの寒さでもないのだ。ありがたいことだが。

なので、薪棚の薪が全く減らない。

本来はこの区画×6ほどあるのだが、他は廃材とかも入っていて見た目が悪くてとても写せない(泣)。ここも決して良い感じではないが。美しく積まれた薪棚があるお宅をいつも感心して見ている・・・

薪が減ってくると、財布の中身と同じように心細くなるものだが、薪が減らないのもまた少し寂しさを感じる。物足りなさというのだろうか。

「ああ、薪が減ったな、薪割りでもするか!」

というときは、困ったような顔をしながら、内心はちょっとウキウキしているものなのだ。

それに一番心配なのは、薪棚がいっぱいだと、冬の間に剪定した樹木の枝を格納する場所がないこと。さて、そのときまでに薪棚に空きができるだろうか。