「一刻も早くここから立ち去りたい」
そう思うことは年に何度あるだろうか。
毎年、この季節、松江城では「松江城大茶会」が開かれる。といっても、開催日は週末なので仕事もあり、いままで訪れたことはなかった。
今年、友人がお茶を習い始めたことがきっかけで、大茶会のチケットをいただくことになった。
気軽に、「いいですよ」と、返事したのがそもそもの間違いであった。
私の頭の中では、観光客が日傘の下に置かれた腰掛に座りつつ、にこやかにお茶をいただいているイメージであった。
たとえばこんな感じ。
市民大茶会5|各務原市
お茶の作法を知らなくても、観光客の顔で気楽にお点前を頂戴して帰ればいいだろうと気楽に考えていた。今年国宝に指定されたこともあり、松江城は観光客であふれているそうだし(この日は実際とても多かった)。
さて、当日午後、気持ちが良い天気の中、松江城に向かった。教えてもらっていた会場に到着。城内にある神社の境内である。イメージ通りの日傘と腰掛もしつらえてある。二日目の午後ということもあり、それほど人も多くないようだ。受付で聞いたが、友人は所用のため席を外しているとのこと。
「15分ほどお待ちください。いま、一つ前の皆様にお点前をしているところですので」
と言われ、指された方を見ると、なんと、神社の社殿の中に席が設けられて、たくさんの人がいるではないか。
日傘と腰掛は、待機場所だったのだ。
ここで、すでに喜ばしくない状況に置かれたことを早めに察知するべきだったのだが、そのまま上手に誘導されてしまって、社殿に上がることになってしまった。
繰り返すが、お茶の作法についてはほとんど知らない。いい年の大人がお茶の作法も知らないのでは・・・と、数年前、習ってみようかという気になったこともあったのだが、忙しさに流されて、結局そのままである。
周りで一緒に待っている人たちを見ると、皆女性ばかり。「今日は良い天気でございますわね」という感じで余裕たっぷり。当然作法はバッチリであろう。ちなみに、このお茶会の流派は「不昧流(ふまいりゅう)」と言って、松江城城主松平不昧公が起こされた流派である。裏千家と表千家の違いもわからない私にとってはましてや何が違うのかもわからない。
最後の抵抗として、一緒に上がる一団の一番後ろに着いた。後ろの方の席なら、前の人に隠れつつ、似たようなことをしていればなんとかやり過ごせるだろうとたくらんだのだ。
後ろの席に着こうとすると、案内している女性に、「せっかくですから前の席に」と無理やり移動させられた。厚意の笑顔さえ、今の私には般若の顔に見える。
我々の前には、不昧流の、お茶を点てる人、そして、説明する人が厳かに登場してきた。二人とも袴姿。不昧流は武家のお茶。顔もマジである。とんでもないところに来てしまった。
丁寧な挨拶と本日の茶会の趣旨、流派についての説明などなど述べられるが全く聞こえない。
隣を横目で見ながら真似をしようにも、若い女性だし、ジロジロ見たら変に思われそうで、それもかなわない。
社殿には涼しい秋風が吹き込んでいるのに額には脂汗がにじむ。すでにこの状態から席を外すことなど不可能に近い。
続いて今日使われる茶器などについての説明にすすむ。もちろん、耳を素通りしていく。
そのうえ、観光客が外からこちらを写真で撮り始めた。やめてくれー。
ああ、もう、どうでもいい。早くここから逃げ出したい。
こんな状況になると頭はどこか他へトリップしてしまうようだ。
ずっと昔、やはり一刻も早く逃げ出したくなった時があった。
そう、未だに夢に見る。幼稚園の年長の最後、学習発表会が開かれた時のことだ。
多分皆で何かの曲を演奏したのだろう。それぞれがタンバリンやカスタネットなどを持って壇上に上がる。
同じ学年の子が全員登壇しただろうから、100人近い子がいたかもしれない。いまとなってはなんの楽器を担当していたのかさえ思い出せないが。
登壇して整列した時に、なにかがおかしいことに気がついた。周りの子供達がなぜか自分とは違う楽器を持っているのだ。つまり、自分はまったく違う場所に来てしまったのだ。
周りの子から、「ここ違うよ〜」「ほかのとこだよ〜」とか言われるのだが、上下左右、他の子供達に囲まれて、身動きが取れない。それに、どこへ行ったら良いかもわからない。
そのままの状態で、演奏が始まったのだが、それからの記憶はない。
どこへも逃げ場がないということの辛さ、久しぶりに感じた。
適切な場所に植えてもらえなかったハーブの気持ちはきっとこんなんだろう。少しだけわかる気がする。
お茶会は、どのように過ぎていったのか、やはり記憶はない。きっと、変な作法でお茶をいただいてしまったことだろう。SNSに写真が流れていないことだけを願いたい。
社殿を出ると、友人が戻っていた。
彼に今日の顛末を話し、来年までに最低限の作法を教えてもらうことになったので、次回は余裕を持って大茶会に向かえることだろう。