押し寄せてくる花と仕事

昨日は荒れた天気で、みぞれも降る始末。午前中は気温も低くて「いま何月だっけ?」と思うぐらい寒かった。

今日は少し気温が上昇したが、それでも4月半ばにしては寒い。飛び交う昆虫もまばらだ。

花たちも少し戸惑っているのか、開花の時期にずれがあるようだ。いつもなら、穏やかな流れで、奥の家の桜が咲き、それが散った頃に畑の中にあるズミが開花して赤とピンク、白の共演を楽しませてくれる。

ズミ。もっと小さいうちの赤い蕾も可愛らしい

ズミの花が葉に入れ替わる頃、ジューンベリーの花が咲き出して、6月の美味しい果実の楽しみを膨らませてくれるのだが、今年はまだ桜が散り切らないうちにズミの葉も出てきて、そのうえにジューンベリーも開花し始めた。

ジューンベリー

いっぺんに開花すると一気ににぎやかになった感じだが、こちらの気まで焦ってくるようだ。

もう少しのんびり春を楽しみたいと思いつつ、次々とするべきことが押し寄せてくる仕事を考えると、話をゆっくり見る余裕もなさそうだ。

小規模の宴会

昨日の朝は雪が舞ったので、桜の蕾もまだまだ先という感じだが、圃場の隅のサクランボの花はもう一息で咲く感じ。上の方の枝には白い花も見え隠れしているようだ。

ただ、今年も残念ながらさくらんぼの実を口にすることはなさそうだ。

もともと、果実が小振りということもあって、熱心に収穫する気にもならない上に、毎年、あと一歩で熟すというときに、小鳥たちが宴会を開いてあっという間に食べ尽くしてしまう。

以前は、ネットでも掛けようかという気分にもなったが、果実が小さいこともあり、そんな手間をかける気にもならない。

ではなんのために?と言われたら困るのだが、毎年伸びすぎないように剪定した枝を、短く切って薪ストーブの焚き付けにしている。

これは非常に役に立っている。着火は杉葉などで行うが、その後、大きな薪へ火がつくまでの繋ぎとしては欠かせないのだ。

この冬は、そのサイズの枝が途中でなくなってしまい、結構難儀した。今、次のシーズンに向けて着々と溜めつつあるところである。少し多めに剪定をしたので、どうやらこの春は花も少なめ。今年は小鳥たちの宴会も小規模になりそうだ。

木守り

一番奥のビニールハウスの前には、ハッサクの木が大きく育っている。今シーズンも30個近くの実をつけ、年末に収穫、二ヶ月ほど熟成してちょうど今食べごろ。毎日のように食事の後のフルーツとして楽しんでいる。

さて、このハッサクの木のてっぺんに、一つだけ実が残っている。

それを見て、以前、庭師さんが、「木守りですか?」と言われた。意味がわからなかったが、どうやら、木を守るために、わざと果実を残しておくことのようだ。

もちろん、そんな意図があって残したのではなく、収穫バサミがどうしてもこの実には届かなかったためだ。実際、こうして写真を撮るのもうまくいかない。

「まあ一つぐらいはいいか、小鳥たちの餌にでもなれば」という感じだったのだ。それに、このまましておいたらどうなるのだろうという興味もある。

ただ、この実が収穫できなかったように、ハッサク自体かなり樹高も高くなり、剪定が必要な状態だ。

木守りが残っている枝を剪定するか、そのままにするか、毎日のように眺めては悩んでいる。

ハーブ的な考え方で

ビニールハウスの入り口に、ヘイゼル(ヘイゼルナッツ)が育っている。十年以上前だろうか、種子を蒔いたところ、いつのまにか6メートルぐらいまでに大きくなった。

もちろん、ヘイゼルナッツが食べられるといいがという程度の気持ちで植えているのだが、花は咲けども、なかなか結実しない。樹木医さんのアドバイスで剪定してみたりもしたのだが、あと一歩が進まない感じだ。

収穫が期待できないこんな時「あきらめて他のものに植え替えてしまおう」という選択肢もあるが、夏から秋までは葉が繁ってよい影を作るし、秋の黄葉はなかなか綺麗だ。それだけでもまあ、植えておいてもいいかなと思える。

なにかで読んだが、枝はダウジングのロッドに使えるという。いつかまた井戸でも掘ろうという時には役に立ちそうだ(ないとは思うが)。

まっすぐに伸びる枝は、杖にも使えるそうだ。今から少しずつ老後のために準備しておいても良さそうだ。

また、仲間である日本のハシバミの枝は工具の柄にも使われるとのこと。ヘイゼルも使ってみても良いかもしれない。今まで剪定枝は薪に使っていたが、形の良いものは乾燥させて少しとっておこう。

こうしてみると、実がならないからといって切ってしまうのは惜しい。むしろ、食べるよりも他の面での活用が重みを増してくる。実がならなくても、いいじゃないか。そんな気持ちでいれば、そのうち実もつけてくれる日がくるかもしれない。

内面で惹きつけて

1月の終わり、冬の間の大仕事の一つ、ビニールハウス前のネムノキの剪定をしてもらった。

この樹も、大きくなってとても自分たちでは剪定ができなくなってきて、しばらく前から専門家にお願いするようになった。今回も、樹木医のMさんと、彼と師弟関係でもある出雲の林業青年、S君にお願いすることになった。

師匠が見守るなか、S君は道具を巧みに使いながらアーボリストの技術で着実に高所へ登って行く。

「自分があの位置に登ったら」と思うと、お尻がむずむずしそうなぐらい、高くて、細く、そしてしなやかな枝の上だ。

でも、見ていても、不安は感じさせない。確かな技術に支えられた本人の自信もあるのだろう。

登って行く間、じっと師匠は動きを見つめ、何かを指示するわけではなかった。ただ、実際の剪定作業に入ったら、細かい位置などを指導していた。あとでS君も、その辺りが勉強になると話していた。

寒い風が吹く中、無事剪定作業は完了し、着実な足取りでS君はネムノキから降りてきた。寒いからといって決して焦らない。

しかもこの重装備である。体の上から下まで、専用の道具。「次々と欲しくなって困る」と言うS君だったが、作業を知らない我々が見てもかっこいい。ヘルメットもロードバイク用のヘルメットを頑丈にしたようなかっこよさだ。

林業をめざす若い人をこう言うツールやスタイルも惹きつけているのかもしれない。それに対して我々の農業は・・・。なかなかツールやスタイルで憧れる側面は少なそうだ。

いやいや、そのぶん惹きつけるような内面を磨かねば。