ご褒美はプロの剪定

ビニールハウスの前に立つギンヨウボダイジュ。

シンボルツリーとして存在感を誇っているが、大きくなるにつれて剪定が困難になってきた。

私自身、高所恐怖症というわけではないが、高いところで太い幹を相手に鋸やチェーンソーを使うのはさすがに怖くなってきた。

そこで数年前から、友人の庭師さんに一切合切をお願いする事にした。

私では技術的にも切ることができず、適当なところで剪定されていたので、木の側としても嬉しがっているに違いない。

また、ちょうど隣地との境に近く植わっているので、空き地とはいえいくらでも大きくするわけにもいかない。下手に剪定すると反発して余計にでも大きくなろうとする。

それが専門家の腕にかかると、弱らせずに伸びすぎないような仕立て方も可能なのだ。我々のような小さな草花を扱っているものにとってはなかなかできない技術である。

もう彼に任せて三年以上、徐々に私がしていた適当な剪定の頃とは明らかに整ってきたようだ。また、この冬の剪定を行う時点で、来年はこの枝を剪定して・・・と数年先が見えていることにも凄さを感じる。

最初の頃は「どうしてその枝を切るのだろう?」と見ていてもよくわからなかった。もちろん今でもよくわからないが、もうそのような疑念さえ湧くこともない。おまかせである。

今年は大きな幹を一本外す事になった。年輪を数えてみるとおよそ十五年。成長が早いので年輪の幅も広い。

伐採されたたくさんの枝は後日玉割り、薪割りして、次の冬の燃料にするつもりだ。薪が燃えるストーブがあるのは樹のすぐ横にある休憩用ビニールハウス。運搬も最小限で究極の「えすでぃじーず」だ。

冬は薪で温めて、夏は木陰を作って涼しくしてくれるありがたい樹。一年に一度、プロに剪定してもらうぐらいのご褒美をあげる価値がある。

視点

地植えで大きく育ったギンヨウボダイジュ、3メートルぐらいまでは剪定も楽で、落葉後に適当に剪定していたのだが、太い枝が人間の太腿ぐらいになると、いろいろと難儀になってきた。

手鋸で切れそうな太さの枝は相当高いところに登る必要があるし、低い位置の枝はチェーンソーでなければ太刀打ちできないようになってきた。

しかも、大きな樹木を剪定するときには小さな草花を剪定するのとはまた違う視点が必要だ。

我々は普段上から草花を見て剪定しているが、樹木の場合は下から見上げたり、枝に登って剪定する。下から見上げて剪定する場所を決めても、あとで離れて見ると妙なところを切ってしまっていたりする。ましてや枝に登って剪定するとなおさらおかしくなる。

草と樹木という違いもあるのだろうが、自己流で剪定した後は伸び方もなんか変で、妙なところから変な方向に枝が伸び始める。

数年前、ついに諦めて、プロの庭師さんにお願いすることにした。この冬もお願いしていたのだが、2月の終わりになっても来られないので、忙しいのかな・・・、仕方ないから適当に切ろうか(庭師さんからするとやめてほしいことだが)・・・。と思っていたら2月の最終日、作業に来ていただけた。

当日、自分の都合が悪く実際の作業を目にする事はできず残念だったが、翌朝来てみると薪ストーブ用にきちんと切り揃えられた枝が積んであった。

この心配りも嬉しいが、実際に剪定していただいた樹を見るのがまた楽しい。毎回、「どうしてこういう場所を?」という位置で剪定してあるのだ。何度も見ているがまだよくわからない。

きっと、即座に判断して剪定位置を決められるのだろう。木に登っていても、全体像が頭の中に映っているのかもしれない。

また、樹木医でもあるこの庭師さん、ただ形を整えるだけではなく、今後の樹の成長を考えながら剪定していただいている。実際にお願いするようになってから、自分がやっていた時のように剪定の反動でいたずらに枝が伸びることがなくなった。

剪定された枝の量も毎年減っていく感じだ。当店のスタッフの中にも彼に松の剪定をお願いしているものがいるが、毎年作業時間が短くなっているという。

「子供と同じで、押さえつけると反発します」というのは彼の言葉。樹木を見る視点。見習いたいものだ。

育ててみなけりゃわからない

朝晩の気温がだいぶ下がってきた。早朝と夕方は、上着がないと厳しい。

一方、暑さが嫌いで涼しいのが大好きなハーブの仲間はきわめてご機嫌。

ゴールデンセイジゴールデンセイジもこの夏は本当にしんどそうだったのに、今は気持ちよさそうに鮮やかな葉を広げている。

ウーリーラベンダー

一時瀕死の状態だったウーリーラベンダーもすっかり回復。これぐらいふわっとした葉では今年の夏は特に厳しかったに違いない。これからますます白っぽくなっていくことだろう。

先日、この辺りでは最高峰とされる鳥取県の大山に登った。山麓までは毎年のように出かけるが、登山は何十年ぶり。

クルマバソウ
登山道の周りはクルマバソウ(ウッドラフ)がいたるところに

それにしても中高年女性の「山ガール」の多さにはびっくりした。とにかく賑やかで二人以上なら、降りてきても登ってきても遠くからすぐわかる。熊よけの鈴もいらないぐらいだ。それよりもこんなに急な坂を登りながらあんなにおしゃべりして息が切れないのが不思議だった。発声器官とべつに呼吸器官があるのだろうかと思えるぐらい(失礼!)。

さて、そんなすこし高齢の「山ガール」の集団の一人の方が、「友達に『山登りの何が楽しいの?』って聞かれるけど、登った人じゃないとわかんないわよね~」と言っていた。確かにその通りだと思う。自分も以前は楽しさがわからなかった。

大山山頂
大山山頂から米子・境港方面を望む

さて、観光客で賑わっている大山寺付近は紅葉はまだこれからという感じ。それでも標高1100メートルぐらいから葉の色の鮮やかさが増し、1200メートルを超えたあたりからは木々の色はまさにピーク。何度も足をとめて観入ることにことになった。

1100~1200メートル付近

我々は紅葉を「しているか」・「していないか」で見がちなところがあるが、その間の段階も存在する。落葉も今まで緑色をしていた葉が急に落ちるのではなく、徐々に縁のあたりが茶色くなったり、斑点が大きくなっていって茶色くなり、そして葉を落とす。

1000m付近の樹木
1000m付近の樹木

とはいえ、普段そういう途中経過を観察する場面は決して少なくない。この間も、続けて複数の方から下記のようなご質問を頂いたが、初めて育てる方にとっては驚くことなのだろう。

エルダーの葉が枯れていきます | ヘルプ・Q&A 

ボダイジュ
ボダイジュの葉も、落葉前はこのような感じ(当店圃場)

これも実際に育ててみなければわからないことだ。そういう意味でも植物を育ててみると発見が多く、観察力・想像力・推察力がついてくると思う。

さて、大山では更に高度を上げると植生が変わり、落葉樹の姿は減っていく。頂上付近になると、雪や寒さに耐えられるごく限られた灌木が主体となる。リアルタイムで植生の変化や草木が秋の初めの装いから、紅葉、冬にちかい姿に変わっていくのを見ることができる。植物を育てる人は登山することで、また一つ楽しみが増えるのではないだろうか。

サワフタギ
頂上付近のサワフタギ。ブルーの実が印象的

屋久島(だったかな?うろ覚え)では、亜熱帯から亜寒帯までの植生を体験出来るという。スタッフの一人はすでに訪れているが、自分もいつかは行ってみたいものだ。

 

労働か、スポーツか

引き続き、仕事の合間をみては薪づくり作業を続けている。

切り倒した大木を、重機で無造作に積み重ねていくのを昨年遠くから見ていたが、実際に近くで見ると「必要な木をどうやって切って取り出すべきか」と頭の中が真っ白になってくる。

薪
積み重なった木々。雪の降る前。こう見ると簡単そうに見えるのだが・・・

いままではすでに倒れていた木や、間伐する木を一本一本倒していたので、こんなに積み重なっていることはなかった。重機ならではの仕事である。

重い木が積み重なっていると、変な方向に力がかかってたわんでいる木も多い。安易にチェーンソーを当てると跳ね返ってきたり、滑り落ちてくることもあり、大怪我の危険性も十分にあるので焦りは禁物だ。

足元も決してよくないので作業しやすい場所から上手に作業場を広げながら進めていく必要もある。

また、輪切り(玉切り)にした幹を楽に運び出せるよう、スタートする場所や、切っていく方向にも気を配らねばならない。行き当たりばったりではうまく行かないのだ。結局取り掛かるまでに現地を3回は見に行っただろうか。自然を相手に複雑なパズルをしているような感じだ。

木々
雪が降って足元も厳しくなった。

作業を始めると、真冬とはいえ、汗をかき、心拍数も上がる。メガネも曇ってくる。疲れとともに判断力も鈍り、腕や肩が痛み始めるとつい作業も雑になりがちだ。そんな時にトラブルが起きるものだ。

積み重なった木
複雑に積み重なった木のどこから手をつけるか。竹も混じっていてなお厄介。

焦らず、マイペースで慎重に。ぬかるんだ足元で重いチェーンソーを使うので腰を痛めないように姿勢にも気を配る。

時々作業しながら、労働というよりもスポーツのような気がしてくる。

そもそも、これでお金がもらえるわけじゃないので、スポーツと割り切った方が楽しいに違いないしね。

冬の山仕事

ここ二日ほど、出雲市の山中(親戚所有)で山仕事にいそしんでいる。

倒木や間伐が必要な木を使った薪作りである。人の手が入らなくなって久しい林の手入れにも若干は貢献していると思う。

間伐

薪は、1年ほど乾かして作業場で我々を温めてくれる燃料になる(ハーブ用ではない・・・)。

ついでに不足しがちな冬の間の運動にも一役買っている。

木を切ったり割ったりしているだけでも林業の大変さがよくわかる。もちろん慣れもあるだろうが、足場が不安定な場所でチェーンソーを始めとした刃物を使うことは危険を伴い、体力の消費も半端ではない。自分の場合は儲けは考えなくてもよい作業なのだが、これで食べていこうとするなら相当な覚悟が必要だろう。

木を伐採するときは特に緊張が高まる。まだまだ思った方向にはなかなか倒せないのだが、一本切り終わると汗をびっしょりかいていたりする。不要な枝を切ったり、玉切りしたりする作業も急斜面で行うと普段使わない筋肉が悲鳴をあげる。普段、平らな場所でばかり生活していると斜面を行き来する大変さがなおさら身にしみる。

薪割り

伐採する場所から、車が入るところまで距離があるので、この場所で割って乾燥させる。薪割りは一連の作業の中で一番楽しい。うまくパッカンと割れると気持ちが良いし、肩を大きく回す動作が肩こり解消に役立っているようだ。また、静かな林の中で黙々と薪割りしていると、ふといいアイディアが浮かんできたりする。

薪は1年ほど乾燥させたらずいぶん軽くなるので、ようやく運び出すが、これもなかなか重労働。

おかげさまで、年末年始に蓄えた体重も数日のうちにすっきりと減っていく。お昼など、ものすごく腹が空くので普段の倍ぐらいのご飯を食べているのにだ。

休憩時も、普段はブラックなのに、このときばかりは甘いカフェオレが体にしみる。

ティータイム

こう書いていくと相当辛い作業に思えるのだが、山に入るみちみち、いろいろな植物を目にするのは楽しい。

ミツマタ
ミツマタ

谷の縁ではもうずいぶん前に使われなくなって忘れ去られたミツマタがたくさんの蕾をつけている。ずいぶん遠くからでもよく目立つ。まだまだ固い蕾だが、そのうち黄色い花が観れることだろう。でも、そのころは忙しくなってなかなかここまではこれないかもしれないが。