花も実も

この秋も、きっとどこかで季節外れで桜の開花のニュースがあるかもしれないが、ビニールハウスの畑にあるズミ(キミズミ)も一部の花が開花を始めた。

例年、4月にちょうど桜と入れ替わるように咲いてくれるこのズミ。この夏の渇水で葉が完全に落ちてしまった。もちろん、株自体は枯れることはなかった。葉を落として自分の身を守ったのだろう。果実もしっかり残っていたので、次世代を優先したのかもしれない。

キミズミの果実

落葉したことで、ホルモンに影響が出て春を待たずに開花してしまったとされるが、実もついているのに花が咲くというのはやはりしっくりこないものだ。花も春ならば枝が隠れるほどびっしりと咲いて見事だが、ところどころポツポツと咲いているに過ぎないので寂しい感じだ。

 

気になるのはいまの花が咲いた後は、これも果実を結ぶのだろうか。興味深く、観察してみたい。

春のキミズミ

たった一球から

ニュースなどでも盛んに耳にするが、さすがの彼岸花も今年は開花が遅れたようだ。

当店の畑でも、10月に入ってから一気に咲き始め、いままでの遅れを急いで取り戻すかのようだ。

また、今年は、いままでになかった場所にも一輪の花が咲いていた。ビニールハウスの北側、奥にはレモングラスなどもあるが普段は特に何も植えたりしない、草刈りばかりしているような空き地だ。

もちろん、こんなところに植えた覚えはないので、なにかの土に混ざって球根が落ちたのだろう。

東側の道沿いに今は群生している彼岸花も、特に植えたものではなく、いつの間にか徐々に増えていき、これほどの株にまで成長した。これも最初は1球だったのかもしれない。

彼岸花を掘った事がある人ならわかるだろうが、その球根たるや、ギッチギチにおしくらまんじゅうのごとく固まっている。とてもこの間に何か入ってくるような余裕はないから、球だけ増やせば、場所取りは分けないだろう。畔の土壌流出防止に使われていたというのも頷ける。

この一球だけの彼岸花も放っておけば徐々に増えるのは間違いない。さて、今のうちに移しておくべきか、そのままにしておくべきか。花が終わったら入れ替わりで特徴のある葉が出てくるからそれからでも遅くはないが・・・。

厳しい夏を超えて

圃場では、基本的に地植えのものには水やりをしない。この夏のように極端に雨が少なかった年もそれは変わらない(全国的にはゲリラ豪雨をはじめ、大雨の被害があった年なのに、不思議に思うが、雨乞いをしたいほど雨が降らなかった)。

普段から雨水だけでまかなう方が良いと勧めているし、一度水を与えると、その後もずっと与えないといけなくなる。そしてそんな時ほど水が足りなかったりする。また、渇水にどれぐらい耐えれるかを確認するという意味もある。

もちろん、現在ひと株しかないような貴重なものは別なのだが。

そんな数少ないものに、クリーピングボリジがある。ここ数年、栽培のタイミングや害虫の影響で育苗が思うようにいかず、親株もどんどん減っていき残り2株になってしまった。

今年はかなり気合を入れて種子の採取を行い、その後の種まき・育苗もずいぶん丁寧に行なった。5月ぐらいから種子を取り続けたあと、1株は8月の半ばに地上部がなくなってしまった。

地上部が消えてしまったクリーピングボリジ。乾燥防止に麻袋でマルチをしていたのだが・・・

落葉樹の下という比較的湿り気のある場所だったが、さすがに過酷だったかもしれない。また、すでに2~3年は経った株だったので、老化も原因だったと思われる。

一株は無事夏を超えた

夏前に種子の採取をしていなかったら、大慌てで水をやっていたことだろう。だが、次の世代がしっかり育っていたので、結局水はやらずに秋を迎えた。

株元の様子

株元の土をそっとよけてみたら、「もしかしたら」と思わせるような様子。もっと涼しくなったら、新たに芽を出してくれるのかもしれない。

「まだ働かせる気か?」と言われそうだが、その時は株元に腐葉土をたっぷり与えたり、ねぎらってやるつもりだ。

次の世代は成育中

自家菜園の意義

今年の夏の自家菜園は渇水もあったが、例年にも増して悪い成績。草とりも十分追いつかなかった。涼しくなって「秋冬野菜でリベンジ」と、意気込んでいるが、本業の傍ら、日々の隙間時間で手入れしていてはやはりペースは遅れ気味だ。

そんなとき、圃場の入り口に軽トラが止まり「おられーかいねぇ」と声をかけてきたのは近隣の農家のAさん。

大きな袋に野菜や栗をいっぱい入れて持ってきてくれた。

先日、木酢液を差し上げたお礼だとのこと。木酢液は、畑のイノシシ対策に使っておられるようだ。

差し上げた木酢液は、前の冬に、くん炭を作った時の副産物。当初はあまり量もでなかったので、自前で菜園に使ったりしていたのだが、量が増え、消費できなくなってしまった。残念ながらpHが不安定なのでお金をいただくようなものでもなく、近隣の方に差し上げたりして使い切っている。

さて、今回いただいたのは、ナスと白ナス、冬瓜、それに拾ったばかりの栗。白ナスは育てたことも食べたこともほとんどないので、料理方法を訊ねたら、細くスライスして、かるくレンジで温めて、味噌で和えるといいとのこと。早速今日のおかずにできそうだ。

Aさんをはじめ、近隣の農家の方には春夏秋冬、いろいろな野菜をお裾分けしていただく。暑い夏でも、厳しい冬でもきちんと生産しておられるし、出来はいわずもがな。

十分に手をかけることができず、昆虫のレストランとなってしまったり、時には収穫もままならなかったりする自家菜園、それにかけている時間を本業に費やした方がいいのではないか、菜園のスペースも仕事用に活用するべきでは?本業でできる苗や、木酢液のような副産物で物々交換するほうがはるかに良いのでは・・・?と、自家菜園の意義について考えてしまう。

もやもやとしつつも、作業を再開して暫くしたらまたAさんがやってきた。小さなタッパーに白ナスの味噌和えを入れてきてくれた。本当に頭がさがる。

丸くて浮いて転がるもの

先週半ばぐらいから秋のコリアンダー(パクチー)の種まきを始めた。

コリアンダーの種子

コリアンダーは、球形の殻の中に種子が二つ入っている。

軽いので、当然水に浮く。丸いので、転がる。

殻を二つに割ると
中に二つの種子

種子を蒔くときに、毎回どうしてこういう構造をしているのか不思議に思う。

この形でいつも連想するのは、球形の被災シェルター(津波対策ポッド)だ。

ネットを調べればどこかにその回答は見つかるかもしれないが、敢えて色々想像を巡らす方が楽しいものだ。

コリアンダーが今の形になったのが、雨季と乾季の差が激しく、雨が降るとなったら洪水規模になるような地域だったのかもしれない。

大雨が降っても種子が泥に埋まってしまうのではなく、水に浮かぶことでむしろ遠くへ広がっていくことができる。

また、ちょっとした坂道でもコロコロと転がって少しでも遠くに新しい居場所を広げることができたのではないだろうか。

殻があるので、少々の日照りでもきっと耐えるだろう。もしかしたら、鳥などに食べられても、殻がある分消化に時間がかかり、排泄される頃にもまだ種子が保たれているのかもしれない・・・

なんて想像をしながら種まきをしていると、結構あった種子も気がつかないうちに全部撒き終えていた。