寒さと食欲

秋の始め頃だったように思う。親株のチェックをしていたら、ホワイトワイルドストロベリーの鉢がとてもくたびれていることに気がついた。

ひと株ひと株が貧弱になって、ランナーも細く、その先の子株もまた頼りなかった。

できるだけ毎年植え替えるようにはしているのだが、この前の冬植え替えができていなかったのも原因のようだ。

このままでは今後の増殖にも影響があるので急いで植え替えを行った。予想では来年の春頃から勢いが戻ってランナーもたくさん出してくれるに違いないと予想していた。

ところが気がついてみたら一気に成長が進んでまるで春のような勢いだ。肥料が多かったということも考えにくいので気温の影響だろうか。

まあ、それはいいとして、たくさん出始めたランナーの先にすでに子株も大きくなりつつあるのだが、子株に早速アブラムシが集まり始めた。

さすがに栄養がたくさん送られて柔らかいところをよくご存知だ。鉢の方にある親株にはほとんどついていない。下にぶら下がっている子株にばかりアブラムシが。

空中で風にさらされるのに寒くないのだろうか。いくら寒くても美味しいものが得られる場所が良いようだ。極寒のなか、ラーメン屋の前に並ぶ人間と同じなのかもしれない。寒さに耐えるからこそ感じられる美味しさを知ってるとは、通ですなぁ。

釣りと園芸

初雪が降り、本格的な冬になるまではニット帽で事足りているが、それ以降になると晴れの日でも早朝はもう一枚何かを頭に被りたくなる。

そこで登場するのが釣り用のフーディーだ。これは手放せない。

寒風吹き荒ぶ中、じっと寒さに耐えて浮きの動きを長時間見つめる・・・。それを可能にしてくれるのだから暖かいのは折り紙つきだ。

もちろん、撥水加工なので少々の雨や雪も問題ない。これをかぶっているだけで寒さに対して安心が持てる。

思えば釣りと園芸は共通点が多い。

自然の中で比較的じっとしていることが多いし、かといって、動く時はそれなりに活動も必要だ。

相手は全く予想がつかない自然、生き物というところも共通している。お金も、それなりにかかる。年をとっても楽しみやすい趣味だ(園芸に軍配が上がるが)。

雨風、雪や太陽にも日々さらされる。静かにひとり、または少人数で自然と対峙する。危険も・・・まあ、これは園芸の方が少し少ないかな。

この頃はすくなくとも野暮ったさが無くなったウェアも、釣り用は色々使えるのではないかとたまに釣具店で見ていたりする。園芸用のウェアよりはずいぶんマシだし。

少年の頃は釣りも好きだったのだ。いつから行かなくなったかなと考えていたら、思い当たる節がある。

そう、園芸と釣りはぶつかることも多いのだ。

それなりに時間が取られる(これが一番ネックだ)。楽しい時期も重なる(天気で気持ちの良い季節はどちらも行いたい)。釣りのベストタイムと言われる朝まずめ、夕まずめも園芸には結構大事だったりする。釣りをしていると、畑や苗のことが気になる。

そうか、それで園芸を始めてからは釣りとの距離が広がってしまったんだなと思ったら妙に納得。確かに、園芸が好きな知り合いで釣りもするという人を思い出そうとしたが、一人も思い浮かばなかった・・・。

春風をストーブに

家でもあまり団扇を使うことは無くなったが、ビニールハウスでは、冬だけ団扇が活躍する。

もちろん、涼感を求めて使うわけではなく、火おこしのためだ。

薪ストーブに火をつける時、本体と煙突が冷え切っていると煙突からスムーズに排気されない。そのため、吸気も滞って火が広がりにくい。ひどい時には休憩場に煙が充満してしまい、寒いのに戸を開ける羽目になることもある。

そこで、最初だけ団扇を使って空気を送り込むといい流れになって火が安定する。

当初は火吹き棒のようなものをビニールハウスのパイプや竹を使って作っていたが、煙だらけの中で咳き込んだりしてしまい、いつのまにか団扇にその座を奪われてしまった。

パタパタとほんの数秒仰ぐだけの出番だが、あるとないとではかなり違うし、これでもそれなりに慣れが必要だ。

思い切り仰ぐのは厳禁。火の粉が逆流して大変なことになる。優しく、でもたっぷりの風が、そう、春風が優しくストーブの中に流れ込む感じで火の勢いを上げてやるとよい。

すぐに炎が安定して、煙がストーブの奥から煙突へ。天井のビニールを通して煙が見えたらもう大丈夫だ(ストーブの前にいながら煙が煙突から出るのが見れるのはビニールハウスならではだ)。

団扇の出番はこれでおしまい。それでも数年使ってきたらずいぶん古めかしくなってきたので、そろそろ交換も必要かもしれない。本当は和紙を張って柿渋でも塗ってリペアしてみたいが、もうそれは趣味の領域になりそうだ。ボロボロの団扇もまた雰囲気と捉えれば良いのだ。

インターロッキングの隙間から

市内のお客様の家に伺う機会があった。

要件を終えてから、「ちょっと見ていただきたいものが・・・」と言って案内されたのが玄関前。

今年の春、大株を株分けしてさしあげたアカンサスが置いてある。ちょうど屋根などの関係で程よい影にもなっているようでこの夏の暑さの影響も受けていないようで、いい感じの葉が大きく育っていた。

「いい感じに育ってますね」と伝えたのだが、お客様が見て欲しかったのはそこではなかったようだ。

鉢の足元、インターロッキングの隙間から緑の葉がのぞいている。近寄って見てみると、アカンサスの葉だ。

「ん?なんで?」とまず思った。実生で増えることも絶対ないわけではないが、今年の夏の開花後の種子がこんなに大きくなるとも思えない。更に近寄ってみると、なるほど、理由がわかった。

どうやら以前はこの上に鉢が置いてあったようで、鉢の下から伸びた根が、インターロッキングの隙間に入って行ったのだろう。

鉢を動かす時に、ちぎれてしまったが、いわゆる根伏せのような形となり、葉が伸びてきたように思われる。

インターロッキングの下も砂になっていれば、このままここで根付いていくのかもしれない。

また訪れる機会には経過をチェックしてみたい。

「来年こそは」のキウイ

毎年恒例、スタッフのIさん(の奥さん)から自家製のキウイを今年もいただいた。

今年は収穫量が例年の1/10だったそうで(例年は数百個)、貴重なキウイだ。大きさも市販のものと変わらない。もちろん味もキウイ好きの家族に言わせると「ゼスプリに匹敵する」とのことだ。収穫が少なかったのに、わざわざ届けてもらって、その気持ちが嬉しい。

農家でもない、普通の主婦が庭で育ててそんなに取れるのかと、ずいぶん前に真似をして圃場の畑にも植えたのだが、こちらはさっぱり。例年と同じ貧相なキウイが10もなっているだろうか。真夏の渇水で葉が全て落ちてしまったので、味も期待できないかもしれない。

こちらは圃場に植えたキウイ。大きさも2/3ぐらいだろうか。まだ葉が残っている。

当初4株ほどあったが、枯れたりして、雌株も一つになったので、今年は挿し木で増やした。苗として増やす方は簡単なのだが、どうも育てて収穫するのは苦手なのだ。毎年、「来年こそは」と気合を入れているけれどそう言いつつ、十年は過ぎているだろうか。

昨年からは、果実の収穫はさておき、夏の休憩場所の日陰づくりにならないだろうかとパイプで棚を作ったりもしているがどうも捗々しくない。こちらも「来年こそは」なのだ