ど根性ナントカ

店頭のレンガ敷の隅っこに、いつの間にやらローズマリーとワイルドストロベリーの株が鎮座するようになった。

ローズマリーとストロベリー

ローズマリーは一つ上の段にある花壇からのこぼれ種、ワイルドストロベリーはランナーが伸びて子株が根付いたのだろう。ローズマリーは、昨冬、まだ本葉数枚といった感じだったのにいつの間にこんなに大きくなったのだろう。

あるお客様が、この様子を見て「ど根性ナントカね」と仰った。

アスファルトを割って成長を続ける大根やスイカはど根性と言えるだろう。ただ、このローズマリーやストロベリーはきっと快適なのだろうと思う。どうやらレンガの隙間に添って深く伸びた根は水はけも良いし、湿度も安定している。ロックガーデンのように暑さや寒さの影響も受けにくいようだ。下手な鉢植えよりも元気な感じである。

ストロベリーはさておき、ローズマリーはあまり大きくなっても・・・ど根性でレンガを割ったりされてはかなわないからね。

美の休息期間

梅雨も終ろうというのに、店頭脇の花壇ではオレガノ・プルケルムが元気だ。例年ならば雨に打たれて地面に這いつくばり、包葉も茶色に変色して見る影もないところだ。今年はまだ梅雨末期の豪雨にも見舞われていないせいもあるのだろう。咲きはじめてからだいぶ長くもっている。

オレガノ・プルケルム

こういう形状のため、なかなか普通の地植えでは良い感じに育ちにくい。それこそ雨の後など、泥が跳ねてせっかくの軽やかな風合いも台なしになる。

ここは膝丈の花壇から垂らすようにしているので泥が跳ねることも無い。または少し背丈のある鉢植えにしても良い感じになる。少しもったいないが、もう少し早めならドライフラワーも見事に乾いてくれる。なんせそもそもがカサカサなのだから。

まだしばらく目を楽しませてくれそうではあるが、花が終わり、地際まで剪定してしまうと、あまりぱっとしない。花壇の隅で来年まで静かにお暮らしになる。今年はしっかり咲いてくれたからしっかり休んでもらいたい。pulchellum(美しい)の名を保つには休息の期間も必要だから。

雨の日のユーカリ

雨の日のユーカリがしょげている。梅雨が終るのをじっと耐えているかのようだ。実はこの株は丈が6メートル近くはあるのに、先端の葉が私の目の前なのである。

ユーカリ・グニー

つまり、もうかなり横に倒れてしまっているのだ。その上雨で重たくなってなおさら下に垂れてしまった。もともとは種子から育てたユーカリ・グニーという種類である。寒さにも強く、葉の香りも爽やかだということで育てはじめ、隣地との境に植えてみた。最初は順調に育っていたが、2メートルを越えた有る冬、湿った雪の重みで根が持ち上がってしまった。

もともと乾燥した土地を原産とするユーカリのこと、山陰のような湿った土地では細かい根が張りにくいようで雪や大風によって倒れてしまうことが多い。移植も嫌うので、今更動かすわけにも行かず、そのままにしておいたのだが、粘り強くここまで育ってしまった。株元から新芽でもでれば切り戻してしまうという選択肢もあろう。しかし、放置状態のためか、新芽がでる素振りは見せない。

たまにユーカリの葉が欲しいと仰るお客様のためにそのまま育てているぐらいで、普段はなおさら気にかけられないかわいそうな株である。それでも雨の日は、雨粒が葉についてなかなか良い感じである。

ちなみにこの隣にやはり大きなユーカリ・グニーの実生株があるが、こちらはもっと丸い葉である。種子から育てたユーカリは結構育ちに幅が出てくるとは言え、誰も同じ種類だとは信じてくれない。

器用貧乏

ハーブの説明で「〜に利用できる」と言われていても、あまり期待するのは禁物である。「利用可能」であっても、必ずしも美味しいとか、卓越しているという保証は無い。

ミントマリーゴールド

ミントマリーゴールドは、香りがタラゴンにやや似ていることから「貧乏人のタラゴン」とか「貧者のタラゴン」と呼ばれ、「料理に利用できる」とされる。だが、使ってみるとやはり代用。本物のタラゴンには及ばない。

また、ハーブティーにも「利用可能」であり、以前、美味しいという話を聞いて試してみたことがある。結果はイマイチであった。飲めないことはなくとも、日々楽しく飲むという風には思えなかった。それでも、ハーブティーとしては血圧を下げたり、消化に良いという側面もあるのであまり非難するわけにはいかない。また、もしかして収穫時期や入れ方に問題があって美味しくなかったのかも知れず、また試してみようと思う。

花も控え目ながら、まずまず良く咲く。今日訪れたお客様の家では一輪挿しにミントマリーゴールドの花が活けられ、良い雰囲気だった。近縁のレモンマリーゴールドは巨大化して困ることもあるほど育つのに比べ、比較的おとなしく、この点は評価できる。あまり頑丈な様子ではないので、冬に地上部が枯れてしまうと、それなりに心配してしまう。でも春には必ず芽を出して安心させてくれる。

この花を器用貧乏と呼ぶのは失礼かも知れないが、ついつい自分と照らし合わせてそのような印象を持ってしまうのだ。

ピーマンの思い出

3年ぶりにピーマンを育てている。夏野菜の花壇には、トマト、キュウリ、ナスが常連。ピーマン、シシトウ、オクラなどはその年の気分で植えたり植えなかったり、植えるのを忘れてしまったりと言うパターンが多い。

ピーマンと聞くと思い出すのが子供の頃からの一人の友人である。とても真面目で温厚、人間的にも愛すべき人柄だったのだが、ピーマンを非常に、それはそれは嫌っていた。どうしてこいつはこんなにもピーマンを嫌うのだろうと、子供心に不思議に思っていたものだ。

実際、子供のころからピーマンが大好きというのは珍しいように思う。自分も大嫌いではないにせよそれほど喜んで食べる野菜ではなかった。それでも一度美味しさを経験すると評価は一転するものだ。

これももう20年近く前になるが、実家が焼き肉店をしている知人に美味しい食べ方を教えてもらった。といってもいたってシンプルである。ピーマンを生のまま半分に割り、種を出す。たれを付けた焼き肉を乗せてピーマンごと頬張るのだ。ただし、新鮮で美味しいピーマンに限る。ピーマンがいくつあっても足りない。

ピーマン

さて、自分でピーマンを育ててわかったのはその造形の魅力的なことだ。静物画のモチーフに使われるのも納得である。そして枝になっている姿がまた良い。朝方上がった雨粒を光らせ、今朝のピーマンはなおさらいい感じ。できればこのまま鑑賞用として置いておきたいほどであった。