カルドンの綿毛に思う

極端な暑さの中ではいろいろなことがどうでもいいと思えてしまう。その反動として涼しくなってくるといろいろなことが目についてしまうようになるものだ。

畑や花壇、ポット苗も、「あれも、これも、それも、どれも」という感じでするべきことが日に日に山積みになっていく感じだ。

とはいえ、側から見ると、そうやって暑さでほったらかしになっているように見えるものでも、わざとそうしているものもある。

畑の隅のカルドンの終わった花。2メートルぐらいのところに枯れた花が残っているので結構目立つ。見た目を気にするならさっさと片付けるべきものだろう。

だが、ここ数年、折れたり草刈機で「剪定」したりして種子の収穫ができずにストックが絶えてしまった。昨年はそもそも結実さえ十分でなかった。

今年は株も復活して花もたくさん咲いたので少しは期待していたのである。猛烈な暑さもむしろプラスに働いたかもしれない。

左は結実しているが、右はほとんど結実していない

なかにはほとんど結実していないものもあったが、しっかり熟したものは巨大なタンポポの綿毛のような奥を探ると次から次へと硬くなった種子が出てくる。猫のノミ取りをしている感じだ。これが、横からバリッと割ったりするよりも取り出しやすかったりする。

不思議なのは、この綿毛、風に吹かれればそれなりにふわっと飛ぶぐらい軽いのだが、種子がたんぽぽやアザミみたいに綿毛としっかりくっついていないようだ。種子もそこそこ大きくて重いのでそもそもこの綿毛ではそんなに遠くへは飛べそうにもない。ではなんのための綿毛だろうか。暑さから種子を守るため?それとも鳥などに食べられないため?モゾモゾと綿毛の中を探りながらそんなことを想像する。

今時AIに尋ねれば、そんなこと瞬時に答えてくれるかもしれない。だが、それがわかったところで、植物の凄さには気づくかもしれないが「ふーん、なるほど」でおしまいだ。それよりも、ああだこうだと頭の中で想像をめぐらしている方がずいぶん楽しいのではないだろうか。

100粒ほど取り終えたところで他にも気になることを思い出したので、一旦終了。また手が空いた時に続きはしようと思う。

 

追記

その後追加で種子を集めていたら、綿毛と繋がっていた種子があったので、そっと飛ばしてみたら、パラシュートのように降下していった。見上げるようなところに咲く花なので、風が吹いたらそれなりに遠くまで飛んでいけそうだ。そのために高いところに花を咲かせるとも考えられそうだ。

 

あなたは稲刈り、私は草刈り

朝、圃場へ向かう途中、コンバインを何台も見かけた。すでに田のなかで稲刈りを始めているものもあり、これから稲刈りに向かうものもあり。

今日は気温もあまり高くなく、その上心地よい風も吹いて絶好の稲刈り日和。つい先日、とんでもない気温の中でコンバインを動かしているのは見ているだけでもかわいそうに思えたぐらいだ。明日からは長期間天気が不安定なので今日しなければいつする?というぐらいだろう。

圃場のすぐ前の田んぼでも稲刈りが始まった。私も、絶対今日は草刈りを進めようと思ってやってきた。

今年の夏は渇水に泣かされたが、その分「雨が降らないから草刈りをする回数が少なくていい!」と前向きに考えるようにしてきた。

いざ雨が降ると、これほど有難いことはなかったがすぐに雑草も伸びてきた。大まかなところは先日スタッフが草刈りしてくれたのだが、親株や野菜が植わっている場所は草刈りに神経を使う。今日のように時間に余裕もあり、快適な日にするべきだろう。

小一時間ほどかかったが、予想通り、丁寧な草刈りができて満足。10日ほど前ならば汗だくでたいへんなことになっていただろう。今日は「それでも水分補給しておくか」という程度。すぐに次の作業に取り掛かるぐらい余裕があった。

これで早朝、野菜の収穫をしても足元がびっしょりになることもない。しゃがんで収穫するのも気兼ねなくできそうだ。

ハーブの親木も、いくつか挿し木ができそうなのも見つかった。次の雨があがったら実行しようと思う。

目の前の稲刈りもお昼前には終わって静かになった。今日はきっと楽だったことだろう。

メリハリつきすぎの夏が終わる

心配だった今年の夏も、どうやら乗り越えられそうな雰囲気だ。とにかく雨が降らないのには泣かされた。

夏になってからの天気は良くいえばメリハリがあったが、降らない時は全く降らない、降る時はとんでもなく降る。全国的にも局地的な豪雨や旱魃、あまりに差が大きい夏だったが、ごく狭い地域でも同じような雨の振り方だったように感じる。

自宅と圃場は直線距離で四キロ程度しか離れていない。先日、自宅を出る時、道路に水溜りができるほどの雨だったのに、圃場では道路はカラカラ。雨雲もメリハリが付きすぎなのだろうか。

良い方に捉えれば季節の変わり目がわかりやすい。毎年迷う寒冷紗の取り付け、取り外しも今年は迷いなくできた。

今日は一番下のビニールハウスと親木のビニールハウスの寒冷紗の取り外しを行なった。昨日までは30度を大幅に超える日が続いていたが今日からはすっと気温が下がり、これから先は曇り空が続きそうな予報。今朝はちょうどいい風も吹いていて鼻歌混じりであっという間に作業を終えた。年によっては大汗をかいてヘロヘロになることもあるぐらいだから今日は今までで一番楽だったかもしれない。

そんな感じなので、片付けもしっかり。丁寧に寒冷紗を畳んで来年すぐに使えるように張る位置を記入した袋に詰める。簡単なことだがこれをしているとしていないとで、来年の梅雨明けの作業がずいぶん違うのだ。例のナフサショックで初夏ぐらいは寒冷紗も手に入りづらかったようだ。それを考えると尚更丁寧に扱わねばと思えてくる。

一つの作業がきちんと完了すると、次の作業も丁寧にしようと思えるようになる。涼しさも手伝って午前中は丁寧な仕事ができた。来週には通販も再開予定。忙しい秋が来て欲しいものだ。

1センチの差

育てている苗を、発売するかどうかの判断は多くの場合根のコンディションで判断する。

地上部がいくら生い茂っていたとしても、根が貧弱な場合はもうしばらく様子を見る。

目視は一番確実だが

その根の状態はもちろんポットから出して目視するのが一番確実だが、これぐらい長く育てているとポットを持った感じで(もちろん種類によっても違うが)、根が広がっているかどうかはほぼわかる。手が持っている精妙な感覚のおかげだろう。

こうして触ると大体わかる

同様に、プラグで使う用土も、湿らせたときに内側までしっかり湿っているかも、ちょっと持ち上げればすぐにわかる。

用度の湿り具合もちょっと持ち上げれば・・・

普段、実店舗で10g単位でドライハーブを袋詰めしていると、秤に乗せたとき、だいたいいいところにいっていることを考えれば水の湿り具合ぐらいはわかって当たり前かもしれない。

読者の方でも思い浮かぶかもしれないが、鉢の土が乾いているかどうか、鉢を持ち上げればわかるという方も多いのではないだろうか。

人間の感覚というのはそれほど正確なのだろう。

さて、以前、荷物を集荷に来られた運送会社のドライバーさんに

「一目見ただけで、箱のサイズがわかるでしょう!」

と尋ねたところ、

「いやー、わかりませんね」

という返事があったので、

「そこは『当然です!!』と応えなきゃ!」

とからかったのだが、真面目なドライバーさんが多いので正直に答えたのかもしれない。

ちなみに、

「センターで受付しているおばちゃんたちはわかると思う」

とのこと。納得である。1センチの差さえ見逃さないに違いない。

春一番が吹いた日

昨日今日と春を思わせるいい天気で気温が上がる。ビニールハウス内は気温がどんどん上がり始める。

全開にしたいところだが、南からの風が強く、煽られそうになるので開口は最小限にしておくしかなかった。

軽作業でも汗ばむぐらいでお昼までに一枚、もう一枚と上着を脱ぎつつ作業をしていた。

今日は午後、遠方から友人が訪ねてくるので早めに一段落をして自宅へ戻る。

久しぶりにやってきたのは岐阜からと、東京と松江を拠点にしている友人二人連れ。学生時代からの付き合いなので、なんだかんだどうでもいいような話をしているうちに3時間も経ってしまう。屈託のない笑いをずいぶんさせてもらった。ありがたいことである。

二人を見送った後、片付けに圃場に戻るとどうやら我々が楽しく話している間にすごい風が吹いたようでいろいろなものが飛ばされていた。

しかも、甚大な被害が。この冬一番の被害である。

薪だなを改造して作っていた、屋外用の育苗棚が風に煽られて傾き、見事に鉢も落下して壊れていた。いくつかはぼちぼち発芽し始めていたのでとても残念。

考えてみれば雨除けなどでビニールを張ったりして風を受けやすい構造になっていた。まあ、これも勉強だ。次回に活かすしかない。

ただ、散乱した種子はもうどうにもならない。もう一度蒔くことはできるが、今までの寒さに充てる過程が大事だったので潔く諦めよう。

薄暗くなってきたし、疲れて片付ける気力もおこらなかった。

帰宅したら、春一番が吹いたとかのニュースの見出しが見えたが、詳しく見る気にもならなかった。

糾える縄の如しという言葉がふと浮かんだ。