「来年こそは」のキウイ

毎年恒例、スタッフのIさん(の奥さん)から自家製のキウイを今年もいただいた。

今年は収穫量が例年の1/10だったそうで(例年は数百個)、貴重なキウイだ。大きさも市販のものと変わらない。もちろん味もキウイ好きの家族に言わせると「ゼスプリに匹敵する」とのことだ。収穫が少なかったのに、わざわざ届けてもらって、その気持ちが嬉しい。

農家でもない、普通の主婦が庭で育ててそんなに取れるのかと、ずいぶん前に真似をして圃場の畑にも植えたのだが、こちらはさっぱり。例年と同じ貧相なキウイが10もなっているだろうか。真夏の渇水で葉が全て落ちてしまったので、味も期待できないかもしれない。

こちらは圃場に植えたキウイ。大きさも2/3ぐらいだろうか。まだ葉が残っている。

当初4株ほどあったが、枯れたりして、雌株も一つになったので、今年は挿し木で増やした。苗として増やす方は簡単なのだが、どうも育てて収穫するのは苦手なのだ。毎年、「来年こそは」と気合を入れているけれどそう言いつつ、十年は過ぎているだろうか。

昨年からは、果実の収穫はさておき、夏の休憩場所の日陰づくりにならないだろうかとパイプで棚を作ったりもしているがどうも捗々しくない。こちらも「来年こそは」なのだ

落葉しないので

圃場の入り口には、ヘイゼルナッツの樹がある。ずいぶん昔、種子を手に入れて蒔いたものだ。花は咲くが、結実までもう一歩というところでいまだ実がならない。

もともと、果実を食べようと思って植えたわけではないので、それは構わない。今年はイマイチだが、黄葉がわりと雰囲気がいいし、樹形も気に入っている。管理もそれほど手間が少ない。ちょうどいい目隠しにも役立っている。

ただ、今年は未だに葉が残っている。枝がだいぶ多くなって株張りも大きくなってきたので枝を減らして剪定したいのだが、葉が落ちてからのほうがなにかと都合が良い。

葉が残ったまま枝を剪定しても、いつまでも葉がそのままで、片付けるにも面倒だ。葉のついている細かい枝も、葉がなければ集めやすいし、薪ストーブの焚き付けにも使いやすい。

先日からずいぶん気温も下がったので、そろそろかなと思いつつ、毎日この木を眺めては、葉が落ちる日を待っている。

ナンエンソウは生えないけれど

今日も畑の裏の山では小鳥たちが大騒ぎ。

何をしているのかと見にいくと、センダンの木に群がっている。どうやらヒヨドリのようだ。黄色くなった実をしきりについばんでいる模様。

上の方がよく実っているのか、安全のためなのか上の方ばかりの実を食べているようだ。

このセンダン普段は他の木々に隠れて全く目立たないが、今頃になると黄色っぽい木の実が目立ってくる。

実には毒性もあるということなのでとても口にする気にはならないが、鳥は大丈夫なのだろうか。ヒヨドリは野菜でもなんでも食べてしまうがきっと胃腸も丈夫なのだろう。食べながらたくさんのフンを落としている。

落語のなかではシャクセンダンの木の下にナンエンソウという草が育つことになっているが、センダンの下もしっかり栄養が行き届いて草も生えやすそうだ。ナンエンソウは生えることはないけれどセンダンの種子がいっぱい芽を出すのではと心配している。

実生は気長に

ハーブの場合、増殖方法はいろいろある。当店では主に挿し木で増やすことが多いが、株分けも結構するし、種子(実生)で増やすことも多くはないが行っている。

もちろん、種類によって適した増殖方法も違うし、容易さや確実性、完成までにかかる時間などでどの増殖方法を選択するかが決まる。

実生が少ないのは、比較的時間がかかりやすいという理由もある。ローズマリーやラベンダーなど、種子からスタートするとその年に苗ができないことも多いのだ。

一方で気長に楽しむという面では実生栽培はおすすめだ。

今、ビニールハウスの前で大きな実をつけている八朔の木は、種子(食べた後の残り)から育てたものだ。実がなるまで実に15年ぐらいかかった。

もちろん、果実が目的ならばさっさと接木苗の大きなのでも植えておくのが賢明だが、子供が小さい時に種子を蒔いたものなのだ。まさか発芽するとも思わなかったが、捨てることもできず、苗となり、大きくなったので地面に植えたら実がなったというわけ。気長に待った甲斐はあった。

場所が良かったのか、昨年は30個以上の豊作。今年も20ぐらいは実がついているので、家族で食べるには充分なほど。子供の小さかった頃のことを思い出したり、この20年近くを振り返ったり、種子の成長とともにその期間をしみじみと味わえる。早く収穫を・・・と接木苗で育てるよりもそれは大きい。

収穫はもう少ししてからだが、そのあと一ヶ月ぐらい置いておくと美味しく食べることができる。こちらも春まで気長に楽しむのだ。

カラタチの実が落ちるとき

あれほどやかましかった蝉の声もいつしかコオロギや鈴虫の音色に変わり、それも聞こえる回数が徐々に減ってきた。少しずつ静かな季節へ移り変わろうとしている。

用水路を流れる水音も田んぼで使われなくなると穏やかな流れになり、耳を澄ましても聞こえないほどだ。

いつも聞こえるのは風の音と、小鳥の鳴き声ぐらいになってしまった。でも、耳をつんざくような蝉の鳴き声の中での作業に比べれば、静かに集中して作業ができる方がずいぶん良い。

後ろの方で、「ストン」と何か落ちる音がした。どうやら熟したカラタチの果実が落果したようだ。樹の下にはいくつも黄色い実が落ちているが、実際に落ちるところはまだ見たことがない。リンゴが落ちるのを見れたニュートンは運がいいのだろう。

今年はカラタチも豊作のようだ。せっかくたくさん実がなったので、何かに使えないか思案中。

ちなみに棘だらけの枝は、今年の夏活躍した。思っても見ない使い方だったが、孵化したツバメの雛を野良猫からうまく守ってくれた。

棘には悩まされているが、使い方が見つかると見方も変わり、あまり疎ましく思わなくなった。人間は身勝手なものだ。